前回のブログの中で「お年寄りがつまづきそうな」という表現を使っていて、その時は何も考えていなかったのですが、後で「ん…?つまづく?つまずく?どっちだっけ?」と、ふと気になりました。
そこで、ネットで調べて見たところ、一応、「つまずく」が適切ではあるようですが「つまづく」でも許容されるということでした。
光村図書さんのホームページにきちんとした解説があったので、リンクを貼っておきます。
要は、現代仮名遣いでは、基本的に「ず」を使うこととなっていて、特定の場合のみ、「づ」を使う、ということのようです。これは「じ」と「ぢ」でも、同じで、現代では原則「じ」を使用するようになっているとのことでした。
今まで、「ず」と「づ」、「じ」と「ぢ」を何気なく使っていて、使い分けについて考えたことがなかったので、初めてきちんとした解説を読んで「そうだったのか!」と、ちょっと驚きつつ、納得しました。
私は、言葉で「どっちかな?」と悩んだら、一応どちらも書いてみて、しっくりくる方を選ぶ、というフィーリングというか直感で、普段、文章を書いています(どっちも分からないときは、ちゃんと調べますが)。
ただ、直感とは言うものの、一応、今まで自分が読んできた本の記憶をベースに判断している(つもり)なので、根拠なく適当に、というわけではない、とも、今まで思っていました。
なので、今回「つまずく」の方が、原則的には「正」の扱いであることを知ったとき、「でも「つまづく」の表記も違和感がなかったんだけどなあ…」と、ちょっと自分の文章に対する直感に、自信がなくなってしまいました。
ですが、光村図書さんの解説をよく読むと、現代の文章は「昭和61年内閣告示」の「現代仮名遣い」をベースに書かれている、と記述されていました。
そう考えると、私は、子どもの頃から、図書館などで結構古い本(出版年が昭和のもの)を借りて読んでいました。また近代文学関係の資料館で働いていて、数年、旧仮名遣いを普通に読むような生活をしていたので、そういう経験から、現代仮名遣いの「つまずく」ではなく、旧仮名遣いの「つまづく」を使ったのだろうな、と思います。
ちなみに、パソコン(IME)だと、どの程度「ず」と「づ」、「じ」と「ぢ」を区別するのかな、と思って、いくつか打ってみました。
光村図書さんの例にあったような「つまずく」「つまづく」はどちらも「躓く」と変換されました。「おとずれる」は「訪れる」でしたが、「おとずれる」は「乙津れる」となって、正しい変換はされませんでした。「はなぢ」は「鼻血」でしたが「はなじ」は「花時」と変換され、「ちぢむ」は「縮む」となり、「ちじむ」は「知事務」となりました。
ちゃんと、パソコンも区別しているんだなあ、と妙な感心をしたところで、今度はスマホはどうかな?と、気になって、スマホでも試してみました。
結果、私のスマホはandroidなのですが、さきほど上げた例は、全て区別せずにきちんと変換されました。「おとづれる」も「はなじ」も「ちじむ」も「訪れる」「鼻血」「縮む」となったので、驚きました。
iPhoneやあるいはandroidでも機種が違えば違うのかもしれませんが、私の機種では、おそらく「ず」と「づ」、「じ」と「ぢ」を区別しないという設定になっているのかな?と思いました。スマホだと、音声認識などの機能の部分が発達(?)しているので、それもあって、同じ音で区別をしないということかな?とも考えたりしましたが、詳しくないので、そのあたりはよく分かりません。
普段、何気なく書いたり使っている言葉も、きちんと調べてみると、ちゃんと使い分けが決まっていたりして、興味深いなあ、と思いました。また、今回、パソコンやスマホの変換の違いを知ることができたのも、なかなか面白い経験でした。
また、何かこういう言葉や音の使い分けなどついて、気づいたときは、少し掘り下げて調べて、考えてみたいなあと思います。
さて、曼荼羅アートです。
なんだか画像の調整が上手くいっていなくて、背景が水色(?)っぽくなってしまいました。
もっと模様を描きこもうかな、とも思ったのですが、周りの形の面白さが半減してしまう気がして、中央部分だけ模様を描いたところで止めました。
私にしては珍しく、全部模様で埋め尽くしていないデザインです。このデザインを活かした着色ができればいいな、と思っています。








